5月23日(土) 晴れ 弱風(南)
パンだけを食べて、8時には岸を出る予定だった。
しかし、南からのうねりが強く、岸に高い波が打ち上げている。
潮が上がるのを待って、9時頃に出発。バリ島の最東端を目指す。
距離的には、全くたいしたものでないにもかかわらず、身体はメロメロ。
暑さと、長距離の慣れないパドリングの両方に、身体が泣きを上げている。
情けないけれど、たくさん休みを取りながら、なんとか最東端の岬へ到達。
それなりの大きさの灯台がある。
潮が上がっていたので、岬とその先にある小島の間の水路を通過して、小さな漁村の浜辺に上陸。
上陸した瞬間に、地元の子供たちに囲まれる。
その数は、優に10名を超えている。
目をくりくりとさせた興味津津の子供たち。
「暑いからこっちに来なよ。」
村の中心にある3畳程度の公民館?みたいな日陰コミュニティスペースに案内される。
村と言っても、みんな家族と親戚みたいで、全部で40人もいるのかな。
小さな、小さな村です。
漁船は、すごい数があるんだけど。
休んでいると、なんとお昼ごはんまでご馳走になりました。
何人か、とても朗らかで、やさしい人がいて、井戸のところまで案内してくれて水浴びさせてくれたり、その後には、腰に巻くサルンという布を貸してくれたり。
とても、温かい気持ちになりました。
でも、こうしている間に事件発生。
なんと、子供たちが勝手に岸に上げたカヤックを持ち出し、海で漕ぎ始めたんです。
八幡さん、青くなって、
「あれはマズイよ。壊しちゃうよ。。。」
と、言い残し、走って彼らを止めに行きました。
昼飯の後は、ジャランジャラン。
インドネシア語で散歩のことです。
村の横にある丘の上に、バリ・ヒンデュー教の寺院の跡があったので、そこまで子供たちと一緒にゆっくりと散歩。
子どもたちは、嬉しくて走り回っているんだけど。
凄く眺めがいいところで、明日行くはずのロンボク島が海峡の向こうにくっきり見える。
ここで、八幡さんに、正直に、
「今日のあの調子だと、明日の海峡横断は無理かもしれない。迷惑をかけたくないし。」と告げる。
実際、事実として私の今回の遠征に対する準備不足は否めない。
いつも、遠征に参加するたびに、準備不足の人々を見ては、「そうじゃないだろう。」と思う自分がいただけに、この事態は本当に情けない。
いくら急なお誘いだったとは言え、もっとやれることはあったはず。
「いくらぐらい出せば、漁船でロンボク島まで運んでくれるだろうか。」と、私。
「そうですね、50万ルピア。日本円で5,000円程度でしょうか。」と、八幡さん。
続けて、八幡さん。
「でも、その選択肢はありませんから。」
「・・・?」
「えっ?ないの??」
「ありません。藤井さんなら漕げるから。」
・・・ということで。
ロンボク海峡横断、やることになりました。
夜は、村のみんなに囲まれながら浜辺でインスタントラーメンを調理。
その後暗くなったら、すぐに就寝。
明朝は、午前3時起床、4時出発の予定。
でも、私たちが寝てからも、何度も村の人が来ては「もう寝ちゃったの?」と話しかけてくる。
八幡さんが、インドネシア語で「もう寝てるよ!」と言っても、何度も何度も話しかけてくるんです。
彼らも、淋しがり屋なのかもしれません。
私も、目を閉じていても、うっすらと覚醒している。
それが意識できる。
さて、明日はどんな一日になるんだろう。
漕行距離 15km
コメント