45年前に生まれた僕は、やっぱりじっとしていない赤ちゃんだったようです。
一歳になるかならないかの時には、歩き始めて、うろうろと。
自宅から1km以上も離れた駅まで歩いて、機関車を見ていたとか。
とても田舎だったので、2階建は市役所のみ。
役所の階段を一人で登って、バルコニーで遊んでいたんだって。
三つ子の魂、百まで。
どうしても、じっとしているのが嫌いみたい。
尊敬する、シーカヤックの先輩が言っていた。
「山があれば登りたい。海があれば漕ぎたい。何でもやりたい。いつまでも子供。」
誉められているのか、それとも、ちゃんとご指導を仰ぐべきなのか。
自分がいる場所が嫌なわけではない。
もっと、心地よい場所へ行きたい、という強い思いがあるわけでもない。
だけど、ここにいたらダメだと思ってしまう。
「とどまる」という単語に、ポジティブな響きを感じられないでいました。
ふっと、考えたんだけど。
「旅」が好きな人間って。
きちんとしたやつ、いないよね。
旅人の多くが、日常生活で、大小問わず問題を抱えているやつが多い。
「旅に出るから。」で、ご和算出来ると思っている。
そんな単純なやつも多いよね。
やっぱり、「旅」って、究極の日常生活からの逃避だよね。
今までの45年間の人生。
旅ばっかりしていた気がする。
物理的にも、そして精神的にも。
いっつも、窓の 外ばかり見ていた。
自分が知らないこと、知らない場所、知らないひと、知らない考え方。
そんなことばかりが、気になっていた。
いつまで経っても、「ここ」にいない自分がいた。
今、自分がどこにいるか。
大きな海原や、山の中だと、
いつも、そのことばかり考えている。
だけど。
僕は今、どこにいるんだろう。
自分は、なにを持っていて、なにを本当に欲しがっているんだろう。
そして。
どこに、僕は行くんだろう。
僕のベクトルは、どこに向いているんだろう。
45歳を迎えて。
今まで積み上げたものに対して、もっと大切に思う気持ちが大事なんだと思うようになった。
上や、外や、違うもの。
それも大事だけど。
手の中にあるもの。
周りにいてくれる人たち。
そして、側にいてくれる大事な人々。
ちゃんと、
きちんと、
感謝の気持ちを。
45歳の岐路に立って。
今、自分にとって一番大切なことは、
「感謝する」
ということだと思っています。
自分が、自分だけで成り立っているものではなく。
だって、生を受けること自体、そうですよね。
もっと、
自分自身が、何を出来るか。
45歳になって。
やっと、そんなことを真剣に考えられる歳になれたのかも。
いろんな形で、僕のことを支えてくれたみなさま。
本当に、ありがとうございます。
久しぶりです、元気ですか?
高校生の頃の印象では、まわりの些事など気にせずにドンドン自分の人生を進んで行く『鋼の様に強い人』だなあって思ってた君がこんな文章を表すなんて・・・内側には詩人が住んでたんですね。
毎回このブログを読むたびに色々な事を考えさせられるよ。
またいつか、再会したいもんですね。
投稿情報: 垣田 | 2011年7 月30日 (土) 06:13
こんにちは。藤井さんとは誕生日が近いんですよね。
ぼくも先日43になりまして、同じようなことを考えています。
自分が何のために生まれてきたのか。
自分はどこへ行くのか。何をするのか。
答えはあってないようなもの。
それを考え続けるのが答えのような気がします。
それでこういうことを考えるのって、アウトドアのフィールドにいるときが多いんですよね。
投稿情報: 聖 | 2011年7 月31日 (日) 03:48
44歳にして、またしても無職になってしまった私。根本的に考え方が間違っているのか、単に我慢が足りないだけなのか、この歳にしてまだ世の中に適応していないのか、などなど色々考えてしまいます。
何か希望の持てる道を探さなければ…。
投稿情報: らぐじ~ | 2011年7 月31日 (日) 08:03