丸田君、
丸田君に初めて逢ったのは、2006年1月か2月だと記憶しています。
ニセコの新谷さんのペンション、ウッドペッカーでしたね。
最初の夜から、いろんなことを、ストーブの前で熱く語ったのを覚えています。
ラグビーのこと、日本のこと、そして人生のこと。
そして、再会したのは、2006年10月。
僕と優子が、オークランドに移住を目的に渡航した直後だったよね。
「藤井さんのやろうとしていること、面白そうだから手伝わせてください。」
そう、ストレートに言ってきてくれて、ビックリしたけれど、本当に嬉しかった。
今でも、そういう大事なことは、真正面からきちんと伝えるところ、全然変わっていないよね。
引っ越しした家は、とても雰囲気のいいところでしたね。
覚えてる?大家さんのエリさん。いい方だったね。
でも、ベッドも、鍋も、テーブルも、何もないところ。
だから、みんなで寝袋で眠って、段ボールをテーブルにして。
食器は、友達の家族から使わないものをもらってきたよね。
最初の仕事は、ターザンの取材。
2006年11月、石川弘樹さんを迎えて、タウポと、トンガリロに行ったよね。
右も、左も、わからないまま。現地の方も含め、たくさんの方々にお世話になりました。
2007年4月からは、Land of CLOUDS NZ Limitedとして、正式営業開始!
でも、まだお給料は払えず、その代り(?)に、同居して、一緒にご飯を食べて。
毎晩ワインをたくさん飲んで、いろんなことを話したよね、夜遅くまで。
2008年1月からネルソンに移住。
仕事も徐々にだけど忙しくなって。
藍ちゃん、仁くん、そして華世ちゃん。
一緒に働くメンバーも増えてきたよね。
日本でのビジネス・パートナーも、その頃から出来てきた。
風の旅行社、地球探検隊、マゼラン・リゾーツそしてST World。
金沢での研修生活も、今ではいい思い出になったんじゃないかな?
ニュージーランド航空さんには、いろんなことでお世話になったよね。
彼らの「アウトドア・アクティビティ研修」も、こちらで受け入れしたりね。
日本支社長だったクリスとかも来てくれて、なんだか面白かったね。
こんなに、頑張ってくれたのに、金銭的なものでは、あまりお礼として十分なものを最後までお渡しできませんでした。
ごめんなさい。
だから、じゃないんだけど、僕にできるのは、僕が知っている人を紹介すること。
そして、丸田君の世界がどんどんと広がっていくことを応援すること。
それしか出来なかったな。
とは言っても、最後は丸田君が、そのチャンスを自分で掴み取ることが必要なんだけど。
実際、丸田君は、どんどん、いろんな業界に、たくさんの友達や、知り合いや、ビジネス・パートナーを作ってきたよね。
横で見ていても、すごいなぁ、って思っていましたよ。
丸田君と話している時に、いつも言ってきたこと。
それは、僕がいつも、自分自身に言い聞かせていることでもあります。
「人と違う自分を受け入れて、そのことを楽しむこと。」
大きな流れに飲みこまれることなく、自分が思った道を信じて歩んでください。
マウンテンバイクのラリー(とれとれ)とかをやっていると思うんだけど。
体力のある人は、地図をちらっと見て、すぐに坂をピューッて降って行っちゃう。
なぜなら、間違えても、自転車担いですぐに同じ道を登って戻ってこれるから。
丸田君は、体力的にも、精神的にも、そしてもっと深い人間の部分でも。
とっても、とっても、強い人になったと思う。
だから、ちょっとした間違いなど恐れずに、人と違う道だからなんて心配せずに、ピューッって行っちゃってください。
優子と僕は、ゆう子ちゃんと、あなたのご両親の次に、丸田憲司の大ファンです。
ずっと、今からもそうです。
これからも、出来る限り、あなたの応援ができればと思っています。
今までの6年間、本当にありがとう。
そして、これからもよろしく。
いつでも、ニュージーランドに遊びに来てください。
藤井 巌
リアルニュージーランド
「本気で遊ぶ人の、本当のニュージーランド」
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