Don't take it for granted.
We don't know how lucky we are.
私の住むニュージーランドで、人々の間でよく口にされる言葉です。
今、手にしているもの、その場所にいるということ。
それを当り前のことだと思わないで欲しい。
自分たちがどれだけ恵まれているか。
そのことをたまには考えていきたい。
ニュージーランドのことを、単なる田舎だと言う人はいるけれど。
でも、 こんな田舎でも、こうして幸せに生きていくことができる。
感謝しなくちゃね。
そういう意図で話されることが多いようです。
2月22日のクライストチャーチ震災、そして3月11日の東日本の大震災、そして津波被害。
直接的に震災に遭われた方々、そしてボランティア、支援等で現地復興に関わっていらっしゃる方々。
人々のいろんな思いの中で、「現在手にしているもの」がどれだけ大事なものなのか。
きっと、身を持って感じていらっしゃることと思います。
私自身、震災後の東京に戻り、節電、停電の直接的、そして間接的な影響を経験しました。
日本の社会自体、私たちが認識している以上に、たくさんの「当たり前」のうえに成り立っていることについて考えさせられました。
たぶん、構造として、後戻り出来るものと、もう決して戻れないものがあるのかと思います。
ただ、今回の苦境の中、システムだけではなく、個々のひとりひとりが、自分たちが思っている以上に力があるということ。
逆に、そういう発見もあったのではないかと考えました。
社会とは、インフラ等だけでなく、大きな意味で人と人の繋がりで構成されています。
会社、学校、そして家族等の組織も、すべては「一人対一人」の関係の上に成り立っています。
人との関係性は、電気や水のように影響や変化が目に見えないもの。
だから、非日常が日常へと移行するなかで、やっぱり、簡単に「当たり前」になっていく可能性が高いかと思っています。
心の中ではわかっているけれど、どうしても大事にする順番として、生活の中で後回しになりがちなことかもしれません。
普段の日常生活においてさえも、人との繋がりの重要性は、とても認識しにくいものです。
心地よい関係性とは、
「何もしなくても、この人は私のことを大事にしてくれる。」
という認識(思い込み)のもとになり立つことが多いような気がします。
いわゆる、「空気」のような存在です。
「空気」だから、目にも見えないし、感じることもできない。
だから、失ってしまった後に、その「空気」の大切さに初めて気がつくのです。
私のとても苦い思い出の一つに、20歳代のときに長くお付き合いした女性と別れてしまった体験があります。
電車の中で偶然知り合った二人は、その一年後に再会し、付き合いを始めました。
私は、当時まだ入社したばかりの駆け出しです。
東京での数か月の研修を終え、ニューヨーク、ロンドンでの海外研修へと旅立つところでした。
彼女は英語もろくに喋れないのに、勤めていた会社を辞めて、私についてきてくれました。
半ば不法滞在でしたが、苦しむ自分を支えてくれました。
それから数年が経ち、私は仕事も覚えて、それなりの収入を得て、それなりの暮らしができるようになりました。
だけど、彼女と私は、お互いやりたいことを見つけて、そして別々の道を歩むことになりました。
周りの友達、両家の家族とも、二人は結婚するとばかり思っていた、その矢先です。
きっと、二人とも、お互いの支えがなくても生きていける、別れるときは、そう思っていたんだと思います。
お互いの存在が、「空気」だったんだと思います。
「空気」を失った私は、数年間苦しんで、そして20年近く経った今でも心の隅に痛みを感じています。
私自身、思いっきり走っていた時期でした。
だからこそ、一番大事なものを見過ごしてしまった気がします。
「大事なこと」が「当たり前」のことだと思ってしまっていました。
現在、生活する中で、私が気をつけているのは、Priority(プライオリティ)です。
日本語に訳すと、「優先順位」でしょうか。
何が自分の中で大事なものかを見極めるという意味では、「理念」に近いのかもしれません。
私は、5年前にニュージーランドに移住し、リアルニュージーランドを設立し、運営しています。
そして、旅行会社の機能にくわえて、今年から留学生の受け入れ等の教育部門を本格的に立ち上げました。
まだまだ、バタバタと走っている感じです。
でも、だからこそ、時には立ち止まって、Priorityを考える必要がある。
そういう思いに至るまでに、いろんな経緯を経て、40年以上もかかってしまいました。
I must know how lucky I am.
私の周りにいてくれてる人々、一人一人に感謝しています。
ありがとうございます。
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