子供をまだ授かっていない、私たち二人にとって、今年は、とってもチャレンジング。
そして、それ以上にすごく楽しい年になっています。
2010年初めから、日本から来た4人のカレッジ・スチューデントのガーディアンを始めました。
宣伝等はまったくしていないので、知り合いか、もしくは知り合いの知り合いといった方々のお子様です。
彼らも、外国での生活はほとんど初めて。
ガーディアンというのは、いわゆる里親。
子供のいない私たちにとっても、すべてが初めての経験です。
いろんなことがあったけど、みんないい子たちで、本当に楽しい。
私たちは、本当に恵まれていると感じながらも、ガーディアンをやり始めてよかったね。
いつも、そう妻と話しています。
彼らは、ここネルソンの地で3年から4年学んだあとに、それぞれの進路へと旅立ちます。
まだ、先の話ではあるけれど、日本の大学に進学する子もいれば、ニュージーランドにとどまる子も。
もしくは、同じ英語圏のイギリスや、アメリカ、そしてオーストラリアに進路をとることも。
先例はいくらでもありますし、十分可能性がある選択です。
ガーディアンを始めたきっかけは、「海外で学ぶ」ということをサポートしたいからです。
本気でサポートしたいと思っているので、ネルソン地元の学校に通う子しかお世話していません。
学校の選択についても、実際足を運び、成績、留学生への対応、サポート等、いろんなことを勘案して、お勧めできる学校だけにしました。
そして、私たちも、あまり多くの生徒さんの面倒をみることもできません。
ですので、一期4名まで、合わせても、多くて7人、8人だよね、と妻と話しています。
私自身は、九州の田舎で育ち、塾に通うことなどが、まだあまり一般的でないころでした。
野や、山や、川がすぐ近くにあって、そこをずっと遊び場にしていました。
今から考えれば、とても恵まれた時代、そして環境だったようです。
東京に出てきたのは、大学入試の時が初めて。
今でも、超おのぼりさんのあの日を覚えています。
そんな私にとって、海外で勉強するというのは、当時夢にも思いつかないことでした。
私にとって初めての海外は、ニュージーランド。
もう、21年前以上のことです。
所属するラグビーチームの遠征でした。
その後、アメリカの会社に入り、そしてロンドン、ニューヨークに暮らすことに。
そして4年前から、ニュージーランドに移住しています。
純粋な田舎者の私にとっては、初めての海外は、それは、それは、大きな衝撃でした。
一生懸命勉強した英語は、なかなか通じず、やはり勝手の違うことに戸惑うばかり。
コミュニケーションしようにも、相手が喜んでいるのか、怒っているのかもわからない。
とにかく、ゲームの後はビールばっかり飲んでいました。
でも、就職1年目にロンドンに移り住むようになって、いろんなことを考えるようになりました。
同じデスクにいる日本人は私一人という環境でしたから、いやがうえにも一日中英語。
それも、イギリス人だけでなく、ロンドン・オフィスには、ドイツやフランス、イタリア、そして中東、アジア。
いろんな人が、いろんな英語を喋っています。
その人たちの言うこと、喋り方を理解し、自分の言っていることをわかってもらう。
若い私にとって、人間を成長させてくれる最高の環境でした。
その時に、感じたことは、
違うことが当たり前、ということでした。
よく、モノカルチャーで育った日本人が陥りがちな感覚として、
「なんで、外人は私のことをわかってくれないんだろう。」
「どうして、外人はそんな変な考え方をするんだろう。」
そういった、相手も自分と同じ目線でいるべきだという考えです。
違って当たり前。
同じことを、双方見つけることが出来たら、それは凄くラッキー!
「愛している人を大事に思う。」
「家族を愛すること。」
そんなベーシックな部分も含めて、一つ、一つ、シェア出来ることを確かめていけばいい。
そう考えるようになりました。
いまでも、その考えは一緒です。
異質を知るということは、自分を知るということでもあります。
日本にいて、当たり前だと思われていることが、実は世界標準だとすごくおかしいこと。
そんなこと、何百、何千とあります。
そう、何十とかいう単位ではありません。
それは、日本文化の独自性という観点ではありません。
それよりも、もっと習慣的、もしくは習慣ととらえられていることの中に多くあるものです。
もともと、島国に住む日本人は、海外(海の外)に行くことに積極的な人間だったと考えます。
いろんな史跡もその事実を裏付けています。
鎖国が、と言われる方もいますが、それもすでに200年近く前に崩壊してしまいました。
今、海外で生きる、もしくは日本国内で生きるにしても、異質を知ることは大切なこと。
それ以上に、「相対的な」自分を知るということは、昔よりもずっと、ずっと、大事なことだと考えています。
まだ感受性が高い、そして対応性が優れている、高校生等の時に、海外に学ぶこと。
それは、日本人として、全然異常なことでもなく、反対に、本来の姿に近いのかもしれません。
ニュージーランドで学ぶこと。
もうひとつ、私がいいなぁと思うこと。
それは、「体験」をすごく大事に出来るからです。
もちろん、海外にいたら、日本にいたら出来ないことをたくさん「体験」します。
ニュージーランドが特に素晴らしいな、と思うことは、「自然との距離」が近いことです。
だから、「体験」が、「自然」により近いものになる可能性が高い。
「自然」に近い、ということは、「文明」、もしくは「都市」から遠いということでもあります。
養老孟士先生もおっしゃっていますが、予測可能な「都市型」の文化に日本人は慣れきっています。
「自然」は予測不可能であり、どんなに頑張っても人間が「コントロール」出来るものではありません。
自然体験として、トレッキングや、シーカヤックを学校でやるから、とかだけではなく。
日々の生活において、自然との距離が近いことが、そういった当たり前の感覚を植え付けるものと思っています。
ある意味、「自然」は「自分」と言い換えてもいいかもしれません。
最後に、ニュージーランドには、やはり「情報」がダントツに少ない。
とても大事なことだと思います。
「こうあるべきだ」、「こうしたら成功する」、「今はこれをした方が」
もちろん根拠のあるものも中にはあるのでしょうが。
日本にはそういった情報が、本当に多すぎるような気がします。
ちょっと、考えてみてください。
普通に通勤、通学するときに、いくつの広告を見ていますか。
目をつぶっていても、車内のアナウンスは止まりません。
遠くの景色を見ようとしても、大きな看板が。
取捨選択の前に、サブリミナルに「情報の洪水」にさらされている状況です。
そこまで、情報は、マニュアルは、本当に必要なのでしょうか。
その中にいて、神経はどれだけのストレスを感じているのでしょうか。
もちろん、ニュージーランドが完璧な場所であるはずがありません。
世界のどことも一緒で、やっぱりいろんな問題を抱えています。
ただ、タイムマシーンがあるんだったら、自分がここで学びたかったなぁ、と素直に正直に思います。
私の感覚として、卒業後の進路としての選択肢についても広い気がします。
そして、全然詰め込み教育でない。それは確か。
反対に言うと、ここまで自主性を重んじるんだ、ってびっくりするぐらいです。
前述しましたが、来年2月からの新学期に向けて、新しいお子様の受け入れを考えています。
中学卒業を控えて、ニュージーランド、もしくは海外の高校に留学を考えている。
現在通っている高校が、あまり自分に合っていない。
もっと広い考えとして、日本の教育システムに疑問を持っている。
これからの方向性、将来の展望が見えにくい。
そういうお考えの生徒の方々、そして父兄の方々、是非、ご連絡をいただければと思います。
ご質問等にもお答えしたいですし、いろんなお話が出来ればと思います。
正直に、私たちが出来ること、私たちが出来ないこと、やれないこと、きちんとお話しします。
すべて納得していただいたうえで、ネルソンに来ていただくことになります。
来てくれる本人が、「ニュージーランドに行きたい!」と思うことが一番大事です。
学校側への最終申請の締切は、11月末頃とお考えください。
早めのご連絡が助かります。
以下、連絡先となります。
藤井 巌 (ふじい いわお)
Director
Land of CLOUDS NZ Limited
[email protected]
ネルソンは、ニュージーランドで一番晴天率が高いところ。
人口は、郊外も含めて10万人にも満たない小さな、でも最高の街です。
スポーツとアートと、そして、ワインと食の町。
私自身、リアルニュージーランドという旅行会社を運営しながらも、あんまり多くの人には教えたくないなぁ、と思ったりしています。
駄目ですよね。
でも、本当にいいところです。
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