藤原正彦先生の「祖国とは国語」を読んでいます。
初版は、平成15年4月ですので、もう6年以上前に刊行されたんですね。
一時期、この本の影響で「国語」ブームになりましたよね。
いろいろと、共感できる部分がたくさんあり、実際に藤原先生とお会いしたいと思うぐらいです。
その中のひとくだりで、「数学は宝石箱」という小さな章があります。
そこで描かれていることは、「数学が美しい」ということ。
私も、大賛成です。
私の高校では、1年生の後半には、もう文系か理系を選択することになっていました。
現在のように、理系出身でも銀行や商社等に就職できる時代ではなかったんです。
また「IT」という言葉さえも生まれる前でしたから。
理系と言えば、研究者か、お医者さんというキャリアがほとんどでした。
将来、何をやりたいと具体的に考えがあったわけではありません。
ただ、じっとしているのが大嫌いという自分の性格については、ちゃんと把握していました。
ですので、お医者や、研究者は、絶対無理だろうな。
そう思って文系を選択したんです。
ただ、数学は大好きだったんです。
最初から大好きだったわけではなく、「菊地先生」に出会ったからです。
冒頭の写真は、今年7月に晩婚の友達が結婚した際、スピーチを賜ったときのものです。
菊地先生の教えは(別に口に出しておっしゃったわけではないけど)、
「綺麗に解くこと」
でした。
正しい解答を得るのではなく、その解答に行きつくまでの道程をどう考えることができるか。
もっと砕いて言うと、ゴールは決まっているので、そこまでのいろんな道のりの中で、どれがベストの選択かを考えて、それを証明する発想と、作業。
高校時代の菊地先生は、宿題の問題に対する解答を、生徒を前に出させて黒板に書かせます。
その後、
「うーん、答えは合っているんだけどな。」
そうおっしゃりながらも、残酷なまでに黒板消しで全消去。
「ほら、3行で解けるだろ。」
そう呟きながら、強い筆圧(チョーク圧?)で定理を交えながら、最も美しい解法を導き出す。
そんな、菊地先生に憧れて、数学が大好きになりました。
文系なのに。
たまたま、私が目指していた大学が、法学部にもかかわらず、数学が受験科目に含まれていたんです。
私の大学受験のストラテジーは、英語、国語はそこそこ。
社会は捨てて、数学で満点。
そんな大それた、人には言えない(今だから言える)、大胆(幼稚)かつ、確固とした(他に選択肢なし)ものでした。
文系だから、社会はみんなが得意としているところ。
そんなところで競争しても仕方ない。
それが、私の論理ではあったのですが・・・
さすがに、模試で120点満点の社会で得点2点と言うときは、こんな私でも焦りました。
ちなみに、数学は満点でも80点しか与えられていません。
まぁ、本番は、いろんな運と、すさまじい神風に助けられ、なんとか合格できたのですが。
文系の数学レベルですので、そんなに偉そうなことは言えるわけではありません。
でも、藤原先生がおっしゃる「数学は美しい。」という感覚、わかるような気がしています。
菊地先生のおかげです。
よく、高校受験、もしくは大学受験を前にしたお子さんをお持ちのお母さま方から、
「どの教科を重点的に勉強させたらよいのでしょうか。」
と、聞かれることがあります。
その時に申し上げるのは、
「一に体育、二と三と四がなくて、五に数学でしょうか。」
と、いうことです。
「健全なる精神は健全なる身体に宿る」
という、有名な格言があります。
もちろん、それを念頭にも置いています。
ただ、それよりもなによりも、今後がますます「不確実性」の時代になっていくと思われるからです。
知識よりも、まず第一は「体力」です。
どんな状況においても、最良の選択をするためには、その思考と知力を支える「体力」が不可欠です。
現在の状況を鑑みて、これからを「生きていくため」には、「体力」が今よりもずっと必要かつ重要になる気がしています。
ちなみに、藤原先生のさきの質問に対する回答は、以下のとおり。
「一に国語、二に国語、三、四がなくて、五に算数。他のは全部十以下なのである。」
私自身、「国語」についてどう思っているか。
外国に住めば住むほど、自国の文化を認識し、「国語」を通じて得る知識の重要さを痛感いたします。
ただ、現在の日本学校教育で教えられている国語については、かなり懐疑的、というか否定的です。
画一化教育の枠組みの中では、解はひとつだけということになります。
感想文に点数をつける、今の国語教育について、心から賛同できないという心持です。
「数学が苦手」という子供が増えていると伺っています。
私の時代から、よく聞く言い訳は、
「だって、数学なんて社会に出て必要ないじゃない。」
そうかもしれません。
ただ、数学を通じて鍛えられた論理的思考力、そして論証力、それに裏づけられた交渉力、コミュニケーション能力。
どれをとっても、社会生活、もしくは生産の現場で必要とされる力です。
そんなことより、数学って、算数って、面白いんですよ。
是非、がっぷり四つで取り組んでみてください。
食わず嫌いしないで。
アウトドアも一緒。
真剣に取り組んでみて、厳しさを乗り越えると、やっと見えてくるものがあるような気がします。
アウトドア・アクティビティにあまり親しみなく育った世代の方々が、ご両親になっています。
そのご両親たちが、お子様をアウトドアに連れていかなくなった。
同じように、数学が苦手だった親御さんたちが、「数学はやらなくていいから。」とお子様に伝えてしまう。
個人の問題としてではなく、社会の問題として、危惧されるべきことだと思います。
数学は楽しんでやるものです。中一の息子にはわかってもらえない。菊池先生はあまりお話しされる方ではなかったですが、黒板に書かれた解法から色々なことを教わった気がします。
投稿情報: チョウシュウ | 2009年12 月13日 (日) 00:58
おぉ。チョウシュウ!
ご無沙汰しています。
ブログ読んでくれてるって知りませんでした。
1月に、大阪に行く予定がありますのでよろしく。
投稿情報: ブラック | 2009年12 月13日 (日) 19:09
了解しました!!
東も潤ちゃんもみんな元気です。
投稿情報: チョウシュウ | 2009年12 月13日 (日) 20:30
>「綺麗に解くこと」
絶対的な真実を明快に美しく示す、
これって洗練された「表現」にすべて通じることなのでは。
ブラックさんのブログを読んでいると、いつも
ありのままが率直に伝わってきて感心させられます。
数学、得意だったんだろうなぁ、と(笑)。
かくいう私は大学行ってまでも数学に苦労させられましたが…(苦笑)
投稿情報: urologist | 2009年12 月16日 (水) 21:15
fujiiさん
おひさしぶりです。いろいろお世話になっていますが、最近ご無沙汰でした。
ところで
そうですよね、好きなことして生きていくためには、
”体力第一主義”
大賛成です(笑)
投稿情報: 松永紘明 | 2009年12 月22日 (火) 12:53
初めまして。ダニーデンに住む山口まみです。昨日、上田ご家族からこちらのブログへのリンクを送っていただき、早速拝見したところ、とても共感できるブログ日記に感動し、思わず手が動き、コメントを失礼しています。私も文系でしたが、数学は大好きでした。只、私の場合は数学の頭より文系の頭と先生に言われるほど、数学に後々苦しんだ方ですが(同じく受験科目に数学が含まれていました。文系なのに)。でも、数学は美しいというのは漠然とですが分かります。主人は数学に強いので、我が子(まだ6ヶ月ですが)にも、数学の美しさ、そしてそこから広がる世界の豊かさを何とか伝授してあげられたらと思います。私事ですが、私たち家族も今年の年末からモチュエカの方に移る予定です。その折はそちらの方でお会いできれば幸いです。
投稿情報: 山口まみ | 2010年3 月11日 (木) 04:10
山口まみさま、
コメントありがとうございます。
Motuekaにいらっしゃるんですね。
私たちの新居からも20分程度です。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。
投稿情報: ブラック | 2010年3 月11日 (木) 14:12