6月3日は、大学ラグビー部のチームメート、加藤航君の命日です。
彼は、フランカーで出場した試合で頭を強打し、勝利のホイッスルを聞いた直後に意識をなくし、そのまま帰らぬ人になりました。
享年、若干19歳。一浪したあとに、名門浦和高校から東京大学に入学。
才能とガッツに溢れたプレーヤーであり、最高に気持ちのいい後輩でした。
今年で、彼が無くなって22年が経ちます。
23回忌を迎え、みんなで集まろうということになりました。
当時の主将、高梨君のおかげで21名のチームメートが集まってくれました。
ひとり、ひとり、線香をあげ、そしてお酒が好きだった加藤君と一緒に酒を回し飲みました。
お墓の前で、みんなで肩を組んで部歌を大声で歌いました。
20数年ぶりに歌うから、みんな歌詞がおぼろげだったけど、一番から四番まで、全部歌いました。
その後、新宿の中華料理に移動して、夜が更けるまでみんなでたくさん飲みました。
加藤君と同期のマネージャーの女の子(いまはもうお母さんですが)にも来てもらいました。
大学の時の試合の話、先輩、後輩の話。
たくさんの笑顔、笑い顔、大きな声。
加藤君のグラスにもビールを注ぎ、みんなの真ん中に置いて。
亡くなった方に出来ること。
それは、彼のこと、彼女のことを、「思い出す」ことだと思います。
反対に、そんなことしか、「思い出す」ことしか出来ないんじゃないかとも思います。
加藤君のこと、本当に大好きだった。
亡くなる数日前にも、練習のあと鉄火丼の店に連れて行き、遅くまでラグビーの話をした。
ポジションも近かったから、生で激しいタックルの練習も一緒にした。
一年生だったけど、積極的な彼のプレーに目を見張っては、いつも応援していた。
主将の高梨君が、
「この世で生きている時間より、もうここで眠っている時が長くなったな。」
そう語りかけていた。
でも、思い出すこと、それで加藤はいつもここにいる。
俺たちは年取ったけど、彼はいつまでも若い19歳のままで。
加藤、お前がいるから、こんな風にみんなと逢えたんだぜ。
ありがとう。
「思い出すこと」、私たちにはそれしか出来ないけど、ずっと君のことは思い出すから。
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