Happy Birthday to ME!
今日は、私の43回目の誕生日です。
朝早くに、日本からニュージーランドに帰ってきました。
なんかちょっとホッとした気分です。
こちらに移住してきてもうすぐ3年。
ニュージーランドが自分の心の棲家になってきたのかもしれません。
やはり、日本から離れて暮していると、久し振りの故国に帰るといろんな変化に気付かされます。
今回思ったのは、数年前からの「マニュアル本」ブームが凄いことになっているということ。
教授や僧侶の方だけでなく、銀座のママや女優の方にも人生を諭されることが普通の時代になってきたようです。
「仕事のできる男は…」、「モテル男は…」、「成功するための…」などなど。
「人前でお金の勘定をするのはやめなさい」
と、教えられていた自分たちの世代は、即物的な教えを教育とは呼ばないと諭されてきました。
時代の変化、それにともなう生き方の変化が求めら、それでみなさんいろんなものを模索しているのでしょうか。
ここ数年、そんなマニュアル的な本が驚異的に増えてきたような気がします。
私自身、今までの、短いようで長いようでやっぱり短い43年間の人生で、いったい何を価値観として生きてきたか、ちょっと考えてみました。
比較文化学の一つの提言として、「罪の文化、恥の文化」というものがあります。
その提言の是非、正確性の議論はひとまず置いておいて、西洋文化の中にも数年間身を置いた自分の経験から言うと、
やっぱり、
「人に迷惑をかけたくない」
というのが、行動様式の一番根底にある思想だったような気がします。
ラグビーやっていたときも、受験勉強のときも、就職してからも、シーカヤック遠征のときも、
「人の足を引っ張りたくない」
そういう気持ちが自分を引っ張って行ったような気がします。
捉えようには、とても内向的な考え方とも解釈されそうですが、どうなんでしょうか。
ただ、ひとつだけ言えることは、
「現在の自分自身でいることに、とても感謝している」
ということです。
友達に、
「昔の自分に戻れるとしたら、いつの自分に戻りたい?」
と聞かれることがよくあります。
私の答えは(少なくとも今の時点では)、
いつも、
「どこの時点にも戻りたくない。」
それは、今の自分になれるためには、いろんな人の助けがあり、考えられないような幸運があったり、偶然(必然?)があったり。
だから、過去のどの地点に行っても、こんな自分になれる自信がないからです。
もっと言うと、もう一回人生やり直したら、私のまわりの方々に今以上に迷惑をかけてしまいそうな気がして。
そんなことなど考えたくない、と思ってしまうのです。
いろんなマニュアル本は、過去の一時点に返った視点で、どうしたほうが良かったという経験論で語られています。
でも、そんな方法論は時代(つい数年で)によって、コロコロ変わるわけですよね。
だから、故事に出てくる智人たちは、何が真実なのかを、古代からずっと、ずっと考えていたわけです。
未来に目を向けてみると。
就職試験の時の面接官の一番おかしな質問として、
「5年後の貴方は、どんな自分になっていると思いますか。」
と、訳知り顔で聞くパターンがあります。
5年後の近未来を、神経を減り擦らせて見据えた経営者等であればまだしも、面接官のレベルの質問に対しては、
「5年後の社会は現在からどう変化しているか、そういう前提をまず示していただかなければ、その質問にはお答えできません。」
というのが、正しい答えです。
と言っても、それが面接の「適切」な答えかどうかはわかりませんが。
経験論が、凄いスピードで価値観が変わりゆくこの時代の中で意味を失っている現代。
反対に、古代から心の奥のほうにインプットされている価値観が、その意義を多く持つのかもしれません。
「恥ずかしい」
そういう気持ちは内向的なものだ!と、実は私自身反発していた時期もありました。
でも、今考えると、
「恥ずかしくない大人になる」
「恥ずかしくない考え方を持つ」
そんなことが自分を大きく支配してきた気がします。
「恥ずかしくないって、誰に対して?」
そんな疑問をお持ちになる方もいらっしゃると思います。
もちろん、「社会」に対してそういう意識は必要だと思います。
でも、自分の心の中では、もう故人になった方も含めて、
「お世話になった方々」
に対して、という気持ちが強いような気もします。
これからも、
「人にご迷惑をおかけしない」
そういう生き方を心がけて、前に進んでいきたいと思っています。
今後もよろしくお願いします。
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