9月29日(金)
早朝3時40分に目覚ましをセットするも、3時過ぎには目は覚めてしまう。再度眠ろうとしても目は冴えるのみ。同室の方を起こすのも悪いかと思い寝床でじっとしている。考えることは、装備で必要なものを忘れていないか、長袖のラッシュガードで大丈夫か、パドリング・ジャケットは着て出るべきか、食糧は足りているか、きちんと朝は食べれそうか、等々。いろんな考えは頭の中を巡り巡って、身体を少しでも早く動かしたくなる。
他の人のアラームが鳴ると同時に床から立ち上がり、着替えを済ませる。朝食を摂りながら、今日の集中することを考える。自分は、そんなに多くのことを一遍に考えたり、実際にやれることなんてないから、単純なことを数点だけ。
- パドルを握らない。
- 右手をプルするときに右の腰(尻)を上げない。
- キャッチを確認した後は、プルではなく反対の腰(肩)を前に出す。
全部、加藤さん、遠藤さんに習ったこと。今の自分にはとっても大事なことです。
5時前には2班に分かれて、祖納港の浜に移動。荷物の積み込み。食物の装備。最後の必要装備の点検。真っ暗の中で各自責任を持って行う。高波が予想されるために、ハッチのつなぎ目にはガムテープを貼る。八幡さんが、厳しい顔で各艇を見渡し目を配る。
出発直前に9名の航士達が並んで写真に。でも、浜は闇のように真っ暗であるためにフラッシュも届かず。
午前5時30分。いざ出発!77km、実漕距離は80kmになるかと考えられる。その第一歩は祖納港の穏やかな海の中から。
最初の1時間は真っ暗の中。うねりの中、ひたすらコンパスを当てに東に向かう。西表島は与那国からほとんど真東の方向。でも、海峡に臨むときには南東からの黒潮が大きく横たわっているために若干南に進路を取り北に流されることを防ぐ。角度で言うと110度から140度。
夜が明け、空が白み始めた頃に、最初の難関の瀬に向かう。与那国島の北を流れる潮と、南東から大きく流れる潮がそこの瀬でぶつかり、不規則な三角波を立てる。右、左、前、斜め。波の高さは2mから、それ以上?
同乗していただいている水野さんは、流石にカヤックに対する造詣が深い。波に対する対応。ピッチの保ち方。チームの他の人々に対する気の配り方。パートナーとして最高の方と組むことが出来ました。齢50歳とは到底思えません。
三角波の中ではうねりが強く、前にいる5m以上の長さのカヤックが波の谷間に見えなくなる。
高波の中では、大きい艇が有利なのか?それとも重い分だけPowerが必要なのか。Waterfieldの3人乗りのGreat Journeyは波を鯨のように掻き分けて進んでいる。
各自が自分の思いを胸に、ひたすら漕ぎ続ける。疲れた者、不運にも船酔いにやられている者、力の限り漕ごうとする者、ペースを考えて漕ごうとする者。
そして、約1名、楽しくて楽しくて仕方ない者も。。。
元気なおっさんって、どこにでもいますよね。
漕ぎ続けて7時間強。12時を過ぎて、私達は距離として与那国から30km強の地点に到達。まだ西表島はその影さえも姿を見せない。
小休止。
八幡さんが笑顔で、今後の計画、見通しを皆に伝える。
「三角波の地帯も抜けたし、この波だったら暗くなっても大丈夫。このまま行きましょう。きっと、12時ごろには着きますよ。」
ん。。。。?
12時って?今、12時なんだけど。ひょっとして12時って12時のことですか?真夜中の?はぁ?
うーん。。。
実は、午前中は追い潮に乗って、順調に飛ばしてきたものの、強まる向かい風と向かい波の影響を受け、また疲労の蓄積の中、巡航速度は徐々に落ちていた。
小休止までの最後の一時間は、巡航速度は4kmを下回る事態に。
「本当に着くんだろうか?」
若干だけど、少しだけだけど、頭に最悪のことがよぎってしまう。
でも、今後これより状況が悪化するなんて、誰もこの時点では予想していなかった。
しかし、どにもかくにも自分達にやれることはただ漕ぐだけ。予定していた午後8時ごろに着かなくても、たとえ12時頃になったとしても、やることは一つだけ。「漕ぐ」ことだけ。
「漕げば必ず着く。」 私自身が沖縄で学んだこと。八幡さんも同じことを皆に伝える。
だから、青い海をひたすら漕ぐ。
以下、続く。
ブラックさん はじめまして わたしlarusさんの海仲間です。
外洋島渡り22時間完漕おめでとうございます。
ウィット混じりの手に汗握る様子を拝読させていただいています。
それとショット拝借ご了解ありがとうございます。
ニュ-ジ-ランドにも行ってみたいです~ そん時は宜しくどうぞ......
投稿情報: ISO | 2006年10 月 3日 (火) 12:21